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2015年01月17日

あれから20年

 あの朝突然訪れた、阪神淡路大震災。前日長男の誕生日を家族で祝い、就寝についてから早朝、まだ眠りの中で地面がうねっていると感じた瞬間、下から突き上げられる振れが。何が起こったか理解が出来ず、ただ次男に覆いかぶさり、隣で寝ていた長男の手を取り、為す術もなくその状態で、上下に数十センチ飛び跳ねていました。別室で寝ていた妻と長女に、「大丈夫か!」と確認し、揺れが収まり確認に行くと、生まれて4ヶ月の長女の横に大きなテレビが飛び跳ねて落ちていました。家の中は、割れた食器で足の踏み場もない状態です。建物は鉄筋コンクリートなので大丈夫でした。当時私が住んでいたのは、神戸市西区の東の端、桜が丘という地域です。
 そのような状態の家を後にして、会社への忠誠心の高かった私は、直ぐに自分が営業していた維持管理物件が気になり、山麓バイパスを抜けて三宮へ(その時間帯は交通規制もまだなく車が1台も走っていませんでした)新神戸に出ると、人気はありませんでしたが普段と変わらない様子、とにかく先ずは、神戸駅前のクリスタルタワービルへ行こうと思いました。
 しかし、その後直ぐに神戸の変わり果てた姿を見ることになりました。阪神高速の京橋付近が傾いている、フラワーロードでは、市役所がドミノのように崩れている、ビルが道路の方へ傾いている。栄町通りは、ビルが崩れて通行不可能。どうしようもないので、元町商店街の中を車で神戸まで、ようやく目的地到着となりました。
 その後は、自分の管理していた建物に行き、ガスを閉めて回り、従業員の安否を確認して回りました。
 あの日体験し見たことは、鮮明に覚えています。何本も立ち上がる火災の煙、倒壊した家屋、焼け野原でたたずむ女性。神戸は正直終わったと思いました。
 あの日、自分がとった行動が正しかったのか、もっと他に出来ることはなかったのか、問い続けています。しかしあの日を境に、自分自身が変わっていったことも事実です。風化させないといいますが、震災を経験した人は昨日のことのように鮮明に覚えています。経験をしていない他の地域の人や、次の世代の子どもたちに伝えていくことが重要です。
 生き残り生かされている私たちは、精一杯人生を生きていきたいと思います。そして、尊い命を失われた犠牲者の皆様に、改めて心からご冥福をお祈り申し上げます。


Posted by ちゃーくん at 11:51│Comments(0)
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